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閑話休題

話者:前之園博一(大学4年在学。親鸞聖人及びその著書を研鑽。)
                                ご意見・ご感想は、ICC41609@lycos.jpまで


第8回(2004/1/12)  「飛行機のたとえ」
第7回(2003/11/12)  「有無同然について」
第6回(2003/10/27)  「人生の目標と目的の違い」
第5回(2003/9/15)  「仕事が人生の目的か?」
第4回(2003/9/1)  「「生きる目的を考えるより、今楽しいことをしたい」という主張について」
第3回(2003/8/18)  「「生きるために生きる」という主張の検討」
第2回(2003/8/4)  「生きる目的がハッキリしないことから起きる悲劇」
第1回(2003/7/21) 「現代の世相から人生の目的の大切さを考える」




 第8回(2004/1/12)
●「飛行機のたとえ」

  イラク戦争で、アメリカと結託したのはイギリスですが、そのイギリスの有名な宰相といえ
 ばチャーチルです。そのチャーチルは「人生は、飛行機が飛んでいくようなものだ」と語って
 おります。生きることは、飛ぶことだというわけです。
  「飛ぶように月日が過ぎる」という言葉があります。これは私たちは昨日から今日、今日か
 ら明日へと、去年から今年、今年から来年へと、猛スピードで飛んでいく飛行機のようなも
 のだという意味です。
  中学3年間、高校3年間が「えっ!もう過ぎちゃったの?!」と思ったのは私だけではない
 と思います。今年度も、春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が暮れ、冬になってしまいました。もう2ヶ月
 半で来年度です。
  飛行機が飛び立ったときというのは、私たちがこの人生に生まれてきたときに当たりま
 す。人生という大空に飛び立つという意味です。
  それ以来、私たちは、小学校、中学校、高校、大学、社会人、、、とものすごいスピードで
 ”人生飛行”を続けるのです。
  ところが、飛行機はいつまでも飛び続けることはできません。
  それは、燃料に限りがあるからです。
  つまり、私たちの人生飛行では命に限りがあるのです。
  どんな人生も100%死に向かって突っ込んでいかなければならないのです。未来に100%
 待ち受けているものは、やがて燃料が切れて墜落していかねばならないということです。
  たいていの乗客は、自分の乗っている飛行機は安心して着陸できると信じ込んでいるも
 のです。ですから、飛行機の中でコメディ映画を見たり、フィッシュorチキンの機内食を食べ
 たり、口をあけてのんびり寝ていたりできるのです。
  それがもし突然、墜落するしかないことを知ったら、乗客は一体どうなるでしょう?
  イラク戦争の契機となった、あの9・11同時多発テロの被害にあった方々がまさしくそうで
 した。
  突然、テロリストによって自分たちの乗った飛行機の墜落が告げられたのです。
  未来が暗いと、現在から暗くなります。きっとどんな食事もおいしくないし、コメディー映画
 も面白くく、快適な旅どころではない、不安におびえ、狼狽し、泣き叫ぶ人たちばかりであっ
 たでしょう。
  乗客の苦悩の元は、この場合やがて起きる墜落なのですが、墜死だけが恐怖なのでは
 ありません。悲劇に近づくフライトそのものが地獄なのです。
  これは、9・11テロの乗客だけではなく、私たち全ての姿なのです。
  そこで、やがて起きる死の大問題を解決することこそ、人生飛行を続けている今、絶対に
 果たさなければならないことだといわれているのです。
  私たちが生きている今、いつ燃料が切れても絶対確実に降りられる大空港を見つけて初
 めて、本当に明るく楽しい空の旅が満喫できます。人生も、また然りです。
  これを人生の目的は、「生死(しょうじ)の一大事を解決して、絶対の幸福になること」だと
 いわれているのです。




 第7回(2003/11/12)
●「有無同然について」

  さて、これまで「人生の目的」と「生きがい、趣味、生きる目標」との違いについてお話して
 参りました。実は、結局これは「有無同然」という言葉に突き当たります。

  有無同然とは、小学校のとき漢字ドリルで習ったという人もあるかもしれません。
  字の意味は、有っても無くても同じく然り、ということですが、これは仏教の経典にある言
 葉なのです。では、一体どういうことを言わんとしているのでしょうか。

  たいていの人は、自分に無いものが有ったらいいなと思って生きています。
  恋人が居なければ、「彼女がいる人っていいなー」と思ったり、とりえがなければ、「ギター
 がひけたり歌がうまかったり、スポーツ万能の人はいいなー」とあこがたりします。この少し
 前には、議員バッジのない人は当選したいと思って選挙活動をしていたわけです。
  ところが、これらのものがあればあったで、有ることが心配や不安の種にもなり得ます。
  そう考えれば、有るときも、無いときも、憂いは同じなのです。
  たとえば、筆者は鹿児島の田舎出身ですが、鹿児島県人の特徴は、東京に行きたがる
 傾向にあります。鹿児島には地下鉄もなければ高層ビルもない、セブンイレブンもなければ
 ヨーカ堂もない。「もっと便利な生活がしたい!」ということで大都会に憧れて受験勉強に励
 むのです。筆者も例外にもれず、そうでありました。
  しかし、実際に東京に来て住んでみると、水は汚い、空気はまずい、夏は鹿児島より暑
 い、駅の駐輪にお金がかかる、電車はほぼ常に満員状態。。。意外と住みにくい都会の実
 態に驚いたのでありました。
  また、かの有名なマイケル・ジョーダンは、NBAで大変な活躍を見せました。バスケットボ
 ールをしていた人たちは、彼のようになりたい、と思って練習をしていたわけです。
  しかし、突然引退を表明して世間を驚かせたことがありました。理由は「子どもを幼稚園に
 送り迎えしてあげられる普通のパパになりたい」ということだったそうです。
  トッププレイヤーの地位にあっても、子どもとの触れ合いが少ないのが、彼にとって悩みだ
 ったというわけです。
  すべての人は、無から有へ、下から上へ、負け組みから勝ち組へ、それはもう涙ぐましい
 努力をしているのですが、本当は有っても無くても満たされずにいるのが実態なのだ、と言
 われているのです。
  では、一体、何が有ったら本当の幸せが手に入るのでしょうか。何が無くなったら苦しみ・
 悩みは解決できるのでしょうか。
  実は、その結論までが仏教には教えられているのです。
  すなわち、苦悩の根元とその解決方法を教えたものが仏教なのです。
  次回は、その苦悩の根元は何か、迫ってみたいと思います。




 第6回(2003/10/27)
●「人生の目標と目的の違い」

  人生の目的は人それぞれだという意見をよく耳にします。いわゆる知識人ほどそのように
 言われる傾向があるようです。
  ところで「人それぞれだよ」という人が思い浮かべている人生の目的は、
   ・資格試験に合格する
   ・恋人を得る
   ・ノーベル賞を取る
   ・マイホームを持つ
   ・金持ちになる
 といった、「”とりあえず今はこれを目指す”という、人生の通過駅であり、「目標」」
 (『なぜ生きる』)なのではないでしょうか。
  人として生きる最終目的ではないのです。この違いを考えてみましょう。

  1994年、当時プリンストン大学教授だったアンドリュー・ワイルズがフェルマーの最終定
 理を証明しました。
 それまで300年以上優秀な数学者の挑戦があったにもかかわらず誰にも証明できなかった
 ので、数学史上最高の証明だと言われています。
  彼は幼いころからこの最終定理を証明してみせる!という情熱をもって数学者になった
 そうです。その彼が、自分の証明が数学界に正式に承認された直後、こう語ったそうです。
  「証明を完成させたのは嬉しいが、同時に30年以上持ちつづけた夢を失って寂しい気持
 ちです」
  バーナード・ショウは「人生には2つの悲劇がある。1つは夢がかなえられないこと。もう
 1つはその夢がかなえられることだ」と言っています。
  つまり、「目標に到達した満足感は一時的で、やがて単なる記憶に変色」(『なぜ生きる』)
 してしまうのです。これが人生の目標の特徴の一つです。
  しかし、人生の目的はそんな色あせたりするものではありません。
  私たちはなぜ生きているのか。それは幸せになるためです。これに反論はないと思いま
 す。誰も不幸になりたいと思って生きている人はいないからです。
  ではその幸福は、今日あって明日なき幸せでもよいのか、というとそうではありません。
  浜崎あゆみも歌っています。
  「今日がとても楽しいと 明日もきっと楽しくて そんな日々続いてく そう思っていたあの
 頃」(「SEASONS」)
  私たちは永続する幸福を求めています。そしてその身になることこそ人生の目的なので
 す。
  「そんな幸福があるものか、人生は苦しみの連続だ」という人もあるかもしれません。しか
 しそれなら早く死んだほうがマシだということになります。そして実際、自殺者は年々増加
 し、年間30000人に達しているのです。そんな人生がどうして「地球よりも重い命だ」と言える
 のでしょうか。
  「そうではない、色あせない永遠に続く幸福があるのだ、そして君もその幸福の身になれ
 るのだ」と根拠を持って言えてこそ自殺を止めることができます。
  ではその永続する幸福、人生の目的とはどんなものか。人生の目標、生きがい・趣味と対
 比させてみていきたいと思います。




 第5回(2003/9/15)
●「仕事が人生の目的か?」

  「あなたの人生の目的は?」と聞くと、「仕事だ」と答える人がいます。これを検討してみた
 いと思います。
  仕事をするのは、金を稼ぐためです。最近の就職動向では、「社会貢献度が高い企業」が
 人気ですが、いくら社会に貢献できても収入0円だったら誰も就職しようとは思わないでしょ
 う。だから仕事をするのは金を稼いで、食っていくためです。すなわち、仕事は生きるため
 の手段だということです。
  では生きるのは何のためか?・・・堂々巡りになってしまいます。

  私の母校の先生に、某一流保険会社を辞めて英語の教師になった人がいます。
  海外部にいたそうですが、やることといったら毎日会議。「なぜ海外部は必要なのか」を
 説明するだけの日々だったそうです。
  「一体、何のために仕事をしているんだろうか」と疑問に思い、得意の英語を使って教職
 に転向したわけです。同僚もみんな「できれば会社を辞めたい」と愚痴をこぼしていたそう
 です。その方30代なのですが、おそらくは就職したころは人気絶頂だった保険業界に入っ
 て人から羨ましがられたであろうに、自分の心は空しい。

  「私は、最近マイホームを買ったという友人の言葉を思い出した。「でもね、契約書にサイ
 ンをした時、途端にむなしくなったんだ。ローンの返済にあと三〇年はかかる。その間、今
 の会社に通い続けて、たいしてやりがいがあるわけでもない今の仕事を続けなくてはなら
 ない。そうすると、俺の残りの人生、ローン返済のための人生かって思ったよ」」
    諸富祥彦『〈むなしさ〉の心理学』

  「「残りの人生、ローン返済のための人生か」と肩を落とすのは、生きる意味がぼんやりし
 ているからにちがいありません。人生の目的が鮮明であれば、「そうだ、このために働くの
 だ!」と意欲がわいて、ニーチェが言うように辛苦を求めさえするでしょう。労働意欲の一番
 の栄養剤は、「人生の目的」です。」
    明橋大二・伊藤健太郎『なぜ生きる』

  会社や仕事が人生の支えになるのは、仕事がうまくいっているときです。
 しかし行き詰まると、生きがいにならなくなってしまいます。

  「「仕事は、人生の目的を達成する手段」と気づく人が、若者を中心に増えていると、社員
 研修十五年の佐藤英郎氏は言います。しかし実際は、「生きるための苦闘」は激しさを増す
 ばかり。どう生きるかに追われ、「そんなにまでして生きるのはなぜか」を考える時間は、奪
 われているようです。
  「人生の旅のなかば、正しい道を見失い、私は暗い森をさまよった」と書き出し、ダンテは
 『神曲』をつづっています。
  この世のウソに飽き飽きし、一切に空しさを覚えるときが、どんな人にも訪れるのではな
 いでしょうか。無益な生涯だったと気づいたり、ゆるされぬ罪の山積に驚くのは、人生でもっ
 とも悲惨な瞬間でしょう。
  多くの場合それは、体力が目に見えて衰えてきたときに下される残酷な審判です。」
    明橋大二・伊藤健太郎『なぜ生きる』




 第4回(2003/9/1)
●「生きる目的を考えるより、今楽しいことをしたい」という主張について

  「人生の目的」なんていうと、「そんなこと考えたって暗くなるだけだ、今楽しいことをやれば
 それでいいじゃないですか。なんか不幸なことでもあったんですか?」なんていう反応をされ
 る方があります。「今楽しいことをやればそれでいい」というわけです。果たしてそれでいい
 のでしょうか。
  私たちの楽しみには大きく分けて3つあります。1つは「欲を満たす楽しみ」。のどが渇い
 た時に飲むコーラ。また風呂上りのビール。これは美味しいものです。しかし、ビールも最
 初の一口は美味しいのですが、飲み続けてくると苦しくなります。また眠たいときに寝るのも
 楽しみの一つかもしれません。
 ところが、10時間20時間と寝続けていると、だんだん苦しくなってきます。
  私の友人が昔、彼女を欲しがっていた時期がありました。ネットで探してチャットをして、夜
 の3時頃でも電話をして、やっと二人きりで会える日がやってきました。その彼のうれしそう
 な顔といったらなかったです。しかし、彼はげんなりした顔で帰ってきました。望んでいたも
 のとは違った、と。「欲望を満たす”気持ちよさ”は強烈な幸福感ですが、すぐ消え去る宿命
 は、まぬがれようがありません」(『なぜ生きる』)
  さて、2つ目の楽しみは「趣味・生きがい」です。私には高校のころ油絵を描く趣味があり
 ました。絵を描く喜びというのは、私の場合は、白地のキャンパスに非日常的な空間を作り
 出すことにありました。しかし、いつまでも絵を描くということはできません。受験勉強もあ
 り、体育祭の練習もあり、しなければならないつまらないことに直面しないといけません。
 結局、絵を描く喜びは、現実逃避でしかなく、その喜びは続かない・色あせるものだったの
 です。
  そして、3つ目は「学問・スポーツ」です。真理の探究、目標への挑戦です。仕事に目標が
 あるなら、仕事も入るかもしれません。
  バルセロナオリンピックで金メダルを取った岩崎恭子選手は、当時「いままで生きてきた
 中で一番しあわせ!」と語っていました。しかしその後、周囲のプレッシャーと受験勉強との
 ハザマで苦しみ、「金メダルなんていらない」と思ったとまで伝えられています(『女性セブン
 』誌。)
  また、『種の起源』で有名なダーウィンは、「自分が、事実をすりつぶす機械かなにかにな
 ったような気がする」と述べています。
  結局、以上から分かることは、これらの楽しみは、永続するものではなく、すぐに消え去る
 ということなのです。
  私たちが生きるのは、今日あって明日なき幸せのためではありません。ですから以上の
 ものとは別の幸せ、すなわち絶対に色あせない幸福があるのです。
  それを親鸞聖人は、歎異抄で「無碍の一道」と言われています。
  無碍とは、「障りがない」ということですが、「障りがあるがままで障りとならない絶対の
 世界がある。早くこの世界に出てください」と言われているのです。


 第3回(2003/8/18)
●「生きるために生きる」という主張の検討

  さて、人生の目的とは何でしょうか。
  インタビューしてみますと、色々な答えが返ってきます。その中には「生きるために生きる
 のだ」という人がいます。また「辛抱して生き続けることだ」という人もいます。
  「生きることに意味がある」とか「生きること自体に価値がある」という意見もあります。
  これらの意見をまとめると、「生きる目的は生きることだ」というわけです。このような
 主張は通るでしょうか。
  例を挙げて考えてみましょう。
  たとえば、ランニングしている人に「なぜランニングしているの?」と訊いて、「マラソン大会
 で優勝するため」「体力つけるため」と答えられれば、誰でも納得するでしょう。
  しかし、「ランニングするためにランニングしている」と言われたら意味不明ではないでしょ
 うか。「生きるために生きる」という主張は、言葉の意味からしておかしいのです。

  生きることは、たとえて言うと、飛行機が飛ぶことにたとえられます。かの有名なイギリス
 きっての歴史的宰相チャーチルは「人生は飛行機が飛んでゆくようなものだ」と例えました。
  一方、米米クラブの大ヒット曲「浪漫飛行」もしかりです。
  飛ぶように月日が過ぎるという言葉があります。この意味は、私たちは昨日から今日、今
 日から明日へと、去年から今年、今年から来年へと、時間から時間へ猛スピードで飛んでゆく
 飛行機のようなものだということです。
  中学3年間、高校3年間も「え!?もう過ぎちゃったの??」と思ったのは私だけではない
 と思います。
  飛行機が飛び立ったときというのは、私たちがこの人生に生まれてきたことにあたります。
 それ以来、私たちはものすごいスピードで人生飛行を続けてきました。
  ところで「生きるために生きる」とは、「飛ぶために飛ぶ」ことと同じです。
  しかし、飛ぶために飛ぶ飛行機は、墜落の悲劇あるのみです。なぜなら、燃料には限りが
 あるからです。
  生きるために生きるというのも、同じ結末になってします。なぜなら命には限りがあるから
 です。だから、生きるために生きるということは、死ぬために生きるのと同じです。
  私たちは死ぬために生まれてきたのでしょうか?それならば自殺奨励になってしまいかね
 ません。
  死とは恐ろしいものです。苦しいものです。とするならば、死ぬために生きるとは、苦しむ
 ために生きることと同じになってしまいます。
  「生きるために生きる」というのは「死ぬために生きる」「苦しむために生きる」と同じです
 が、そんなことのために私たちは生まれてきたのではありません。幸福になるために生ま
 れてきたのですから、これは誤りであります。


 第2回(2003/8/4)
●生きる目的がハッキリしないことから起きる悲劇

 先日長崎県で、12歳の少年が4歳の少年を突き落とす事件が発生しました。
  関係者は戸惑いを隠せないようです。成績はトップクラス、学校を休みがちなわけではな
 い普通の子が犯した罪。日本全国に反響が広がっています。
  携帯メールで少年の顔写真が流されたり、鴻池防災担当相が「親を市中引き回しの上打
 ち首にしたらいい」と発言したのはご承知の通りです。
  そんな中、子供たちに命の尊さを訴える発言が多くなっています。
  例えば、7月18日、東京都港区の御成門中学校では「命はかけがえのないものだが、は
 かなくもある。失ってしまったら、ゲームのようにリセットボタンを押してもやり直すことは
 できない」 と宮元登校長が呼びかけました。
  また、横浜市立松本中の馬渕宣充校長は「人の命は簡単に壊れる。命の重みを考えて」
 と話したそうです。
  さらに、静岡県藤枝市立西益津中の長谷川弥生校長も、「人の命の重みは年齢に関係
 ない」と話しました。
  しかし、なぜ人の命は重いのでしょうか?
  「人命は地球より重い」のは何故か、と聞かれたら、どんな人も答えに窮すると思われ
 ます。哲学者P・フット(カリフォルニア大教授)は、なぜ命が尊いか説明できた哲学者
 を知らないと、「道徳的相対主義」で述べています。
  問題の根本はここにあるのではないでしょうか。
  なぜこのような少年犯罪が起きたか。それは確かに、地域のコミュニティが力を失った
 からだ、というような面もあるでしょう。しかしこういった犯罪が起きる本質的原因は、
 「なぜ命は重いのか、なぜ人を殺したらいけないのか」の答えがないから、にあると思い
 ます。
  逆に人命が地球よりも重いとハッキリ分かれば、他人の命を虫けらのように奪うこともで
 きるはずがありません。
  ではどのようにそれは知らされるのでしょうか。

  前回述べましたように、生きることは手段です。手段は目的があって初めて成り立ちま
 す。目的が大事であればあるほど、手段は大事になります。
  ですから、「人生にはなさねばならぬ目的がある。どんなに苦しくても、生き抜かなくては」
 と生きる目的がハッキリしてこそ、生命の尊厳が知らされるのです。
  つまり、生きる目的が地球よりも重いから、その目的を果たすための命も地球より重いと
 知らされるわけです。

  「親が悪い」「少年法を改正すべし」「社会がいけない」「学校が悪い」「マスコミが騒ぎす
 ぎ」・・・・解説は色々でしょうが、肝心の「生きる目的」が抜け落ちた議論では、同じような
 事件は続発するに違いありません。
  生きる目的を知ることがいかに大事なことか、分かって頂けるのではないでしょうか。


 第1回(2003/7/21)
●現代の世相から人生の目的の大切さを考える

 「生きるとは?」なんて大それたタイトルでしょう!とお思いの方もいらっしゃる かもしれません。そんなものに答えなどない、と仰る方もいらっしゃるでしょう。人そ れぞれ、自分の考えを他人に押し付けないでくれ、と反発される方もいらっしゃるかと思 います。
 ここで話題にしたいのは、「なぜ生きる」という問題です。「なぜ生きる」の 問いとは対照的な問いに「どう生きる」がありますが、これは似て非なるもので す。この点が非常に大事です。
 生きることを、歩くことや走ることに例えてみましょう。生きるということは 昨日から今日、今日から明日へと進んでいきますから、その点では歩く・走るに 例えることができます。さて、走るときに最も大事なことは何でしょうか? 走りやすい靴を選ぶ、水の補給を怠らない、・・・どれも大事です。しかしもっ と大事なものがあるのです。賢明な読者諸氏はお分かりだと思いますが、「ゴー ルがどこかを知ること」であります。ゴールを知らないマラソンランナーはあり ますまい。目的地を知らずに走っているタクシーもまた、ないのです。「どこへ ゆくあてもなく」歩いているという人は、気分転換が目的だとすれば、その目的 が大事なのです。一番大事なことは、目的だと言えましょう。
 飛ぶことにしてもそうです。目的地不明の飛行機に乗る人はいません。なぜで しょうか?それは必ず墜落するしかないからです。
 以上からお分かりのように、歩くために歩く人は歩き倒れあるのみです。走る ために走る人は、走り倒れあるのみです。飛ぶために飛ぶ飛行機は、墜落あるの みなのです。目的の有無が大きな違いとなってあらわれます。
 では生きることの目的は何でしょうか?
 仕事をするのは何のためか、と聞かれれば、食っていくため、すなわち生きる ためと答えるでしょう。医学が何のためにあるのか、それは人々を少しでも楽に なるように、長く生き延びられるようにするためです。では生きる目的は何で しょうか。これに答えられる人はなかなかいません。答えたとしても、たいてい それは「人生の目標」であることが多いのです。英会話をマスター、就職、教授 になる、ノーベル賞をとる、社長になる。それらは全て「生きるため」にするもので あって、「生きる目的」ではありません。生きる手段なのです。いわば「どう生 きる」の問題です。これは人それぞれですから、私があれこれ言う必要はありま せん。
 当然、目的があって初めて手段が出てきます。目的のない手段は、手段ですら ありえません。ですから生きているのに、人生の目的がハッキリしないというの は、ゴールを知らないランナーと同じで、いつまでたっても同じことの繰り返し で空しさが絶えず、苦しいのです。そしていつか、走り倒れます。
 あたりを見回してください。日本の年間自殺者は、交通事故の約3倍の約30000 人です。凶悪犯罪が急増し、少年犯罪も増えています。学校は荒れ、心が荒んだ と嘆く人も少なくありません。その根底には、生きる目的がハッキリしないこと への苛立ちがあるのではないでしょうか。法律改正で解決できるような浅い問題ではありませ ん。
 人生にとって、最も大事なことは生きる目的を把握することです。
 このコーナーでは、まず人生の目的と手段との違いをさまざまな事例を通して 考え、そして人生の目的が完成した世界はどんなものかを考えてみたいと思います。


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